こんにちは
らっきー今野です
実は私、一年半程前からフラダンスを習っており、11月の発表会に向けてレッスンに励んで(?)おります。
先日もレッスンがあり、ペアを組んでいる相手と一緒に踊っていたところ、背後から鼻水をすする音が聞こえていたのです。
‘先生、アレルギーでも出たのかなあ?’なんて吞気に思っていたら、先生が「今まで一生懸命に教えてきた甲斐があったわあ。もう感激しちゃった。」とおっしゃるのです。
私は、あまり得意でない曲だったので、そういってもらっても面映ゆい感じだったのですが、先生がぽろぽろと涙を流しているのを見て、ちょっとうるっときてしまいました。
正直、他の人から見たところで、‘そうかなあ?(それ程でもないのでは?)’という程度だとは思います。ただ、先生が真剣に教えてくれた気持ちと、私達が今出来る限りの力で精一杯踊った思いが繋がった瞬間だったのではないでしょうか?
これは、はっぴーらっきーで常に心掛けている‘愛情の循環’ でもあると思います。
今回の事をきっかけに、更にレッスンを重ね、先生と私達との‘感動(共感)’を積み重ねていけたらいいなと思いました。
さて、今回は『認知症の現実に苦しむ家族の思い』という話をさせていただきます。
認知症の人と家族の会の会員を対象とした、「認知症の診断と治療に関するアンケート」の結果が公表されました。認知症の早期診断を求める声が強い一方で、
早期診断が可能になってもさまざまな課題が残ることが指摘されています。認知症の人とその家族のつらさを解消していくうえで、根本的に求められることは何
か。改めて考えてみたいと思います。
「知ってしまった」ことへの受容は過酷
アンケート結果では、「早期診断が可能になった場合の課題」が具体的に上がっています。回答のトップは、「長い間、精神的な負担を抱えなければならない」というものです。
本来、早期診断は的確な認知症サポートを受けるうえで、入口となるはずです。それが、家族にとって精神的負担になるのは、診断が「家族や本人の安心を創る
こと」につながっていないことを示します。早期診断を初期の集中支援に結びつけるという国のビジョンを、根本からくつがえすことになりかねません。
家族は、「本人が認知症」という事実を受け入れるのに大きな苦痛や絶望を抱えがちです。こうした家族心理は、認知症に限らず、たとえばガンの告知などでも
起こりうることです。「知ってしまったこと」への受容はそれだけ過酷なものなのだということを、医療関係者などがどこまで心得ているのかが問われます。
続きは後日更新いたします。
らっきー今野です
実は私、一年半程前からフラダンスを習っており、11月の発表会に向けてレッスンに励んで(?)おります。
先日もレッスンがあり、ペアを組んでいる相手と一緒に踊っていたところ、背後から鼻水をすする音が聞こえていたのです。
‘先生、アレルギーでも出たのかなあ?’なんて吞気に思っていたら、先生が「今まで一生懸命に教えてきた甲斐があったわあ。もう感激しちゃった。」とおっしゃるのです。
私は、あまり得意でない曲だったので、そういってもらっても面映ゆい感じだったのですが、先生がぽろぽろと涙を流しているのを見て、ちょっとうるっときてしまいました。
正直、他の人から見たところで、‘そうかなあ?(それ程でもないのでは?)’という程度だとは思います。ただ、先生が真剣に教えてくれた気持ちと、私達が今出来る限りの力で精一杯踊った思いが繋がった瞬間だったのではないでしょうか?
これは、はっぴーらっきーで常に心掛けている‘愛情の循環’ でもあると思います。
今回の事をきっかけに、更にレッスンを重ね、先生と私達との‘感動(共感)’を積み重ねていけたらいいなと思いました。
さて、今回は『認知症の現実に苦しむ家族の思い』という話をさせていただきます。
認知症の人と家族の会の会員を対象とした、「認知症の診断と治療に関するアンケート」の結果が公表されました。認知症の早期診断を求める声が強い一方で、
早期診断が可能になってもさまざまな課題が残ることが指摘されています。認知症の人とその家族のつらさを解消していくうえで、根本的に求められることは何
か。改めて考えてみたいと思います。
「知ってしまった」ことへの受容は過酷
アンケート結果では、「早期診断が可能になった場合の課題」が具体的に上がっています。回答のトップは、「長い間、精神的な負担を抱えなければならない」というものです。
本来、早期診断は的確な認知症サポートを受けるうえで、入口となるはずです。それが、家族にとって精神的負担になるのは、診断が「家族や本人の安心を創る
こと」につながっていないことを示します。早期診断を初期の集中支援に結びつけるという国のビジョンを、根本からくつがえすことになりかねません。
家族は、「本人が認知症」という事実を受け入れるのに大きな苦痛や絶望を抱えがちです。こうした家族心理は、認知症に限らず、たとえばガンの告知などでも
起こりうることです。「知ってしまったこと」への受容はそれだけ過酷なものなのだということを、医療関係者などがどこまで心得ているのかが問われます。
続きは後日更新いたします。
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